7時半に道の駅を出発します。
心身ともに疲れやすいこのごろ…
「山崎のコンセイサマ」にお参りします。
お堂の中のご本尊は見られませんでしたが
外のコンセイサマ(蛇石?)に参拝。
付近にもいろいろなコンセイサマがいらっしゃいます。
雨が落ちていないので「貞任高原」で二度寝をしようと向かいました。
道ばたでシカと遭遇して,お互いにびっくりしました。
着いたら暴風雨…
そうそうに退散して土淵方面を散策します。
土淵地区は,遠野の中でも好きな地域です。
「水車小屋」
板を葺き替えたのでしょうか…
周囲になじむには年月がかかりそうです。
誰もいない駐車場で
ごはんを炊いてラムの味噌煮を作っていたら
観光バスが来てあせりました…
先頃お亡くなりになった
水木しげる大先生のラッピングです。
「デンデラ野」
昔はなかった「あがりの家」
【昔は六十を超えたる老人はすべて此連台野へ追ひ遣るの習ありき。老人は徒に死んで了ふこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり。その為に今も山口土淵辺いては朝に野らに出づるをハカダチと云ひ、夕方野らより帰ることをハカアガリと云ふと云へり。】
「常堅寺」を抜けます。
かっぱ狛犬。
「カッパ淵」は連日の雨でにごっていました。
【このあたりにはカッパが多く棲んでいて,いたずらをしたそうです。遠野のカッパは顔が赤いといわれています。】
「卯子酉(うねどり)様」
縁結びの神様として有名です。
赤い布は,左手だけで結べれば縁が結ばれるというものらしいです。
「五百羅漢」に行きます。
いつもの熊よけBGMをかけながら登ります。
ついたころに,急に暴風雨。
目の前に木の枝まで落下してきます。
ほうほうのていで逃げ出しました。
うるさくしたから歓迎されなかったのでしょうか…
【度重なる飢饉で犠牲になった多くの犠牲者を供養するために
大慈寺の義山和尚が自然の花崗岩に五百体の羅漢像彫ったといわれています。】
隣の「程洞のコンセイサマ」にお参り。
こちらの天気は,すこぶる穏やかです。
山道を登ります。
お稲荷様を勧請しているので鳥居がたくさんありました。
コンセイサマは,子宝の神様で有名ですが
背後の神地とあいまって
死と再生のシンボルにもなっているそうです。
すがすがしい場所でした。
天気は相変わらず最悪。
これ以上の観光はあきらめます。
釜石自動車道を使って花巻へ。
藤三旅館にお風呂に行きます。
(webより。お風呂は撮影禁止です)
夜は道の駅みやもりに行きます。
これを撮りたかったのでした。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルになったとか…
ほんとうかな…
1時間に上下1便くらいしか通らないので
時刻表を確認して,タイミングを合わせて外に出ます。
2時間分は失敗しました。
外は寒いので
夕食はおでんにしました。
家から持ってきた大根を煮た後に
パックおでんを投入します。
飲み過ぎました…
3日目に続きますが…
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